ちょっとしたお話③


2020/6/19

ちょっとしたお話③

 
”私は昭和4年生まれで、、今年82歳になります。
昭和4年は世界大恐慌がおきた年で、物がない時代、生きていく事に精一杯の時代を生き抜いてきました。戦争も経験してます。
当時、女学生だった私は戦闘機の製造にも動員されて、作ってました。友達と他の女学生達も一緒に作ってました。“
話を聞いたら、その飛行機工場はその老婆の学校から近かったとの事で、選ばれた人?しか動員されなかったとの事。
私の頭の中に、何故か「映画シンドラーリスト」が浮かんだ。映画の中で、子供達を弾丸作りに動員していた。
その映画のワンシーンのように、少女だった老婆は小さな手で、一生懸命に作業をしていたんだろう。
あの頃の日本は戦争で、国民全員を巻き込んで必死だったんだろう。
 
私は、”福岡でも戦闘機を作っていたんですか?“と聞き返した。
”ええ、、そうですよ、、今の春日で、、“
私は心の中で”だから春日市に自衛隊が、、なるほど“と思った。
 
戦争、、、韓国も韓国戦争を経験してるので、戦争の時の生活がどうなのか、どんなことが起きたのか、は普段、学校の勉強で、ある程度は分かっていた。
また、母からも聞いていた。母が子供の時に韓国戦争を経験してる。
どんどん北に攻められて、母も避難を。南、南へと避難をしている時に道ばたには倒れている人が沢山いた、、今考えるとあれは人の死体だったんだろう。と母は言う。
子供の頃の記憶は覚えてない事が多いけど、何故か、はっきり記憶に残っている事も多い。
 
 
日本で起きた第2次世界大戦は映画や歴史の本を通して知っている部分が多い。
私が福岡にいなければ、福岡で戦闘機を作った話をバスで偶然出会った人から聞く事もなかっただろう。(笑)
 
戦闘機、第2次世界大戦、敗戦、神風特攻隊など、実際、私の戦争の知識は本当に乏しかった(学生の時の私は歴史に興味がなく、特に戦争の話は好きじゃなかった。)、ので、その話は興味がわいた。
 
静まりかえったバスの中で、老婆の話は続いた。
”戦争は続き1945年福岡大空襲が起きました。福岡は空襲により、灰になってました。
黒い煙が立ち上りました。“
映画のワンシーンのような話。。。
老婆は年を感じさせない滑らかな、口調で話を続けた。
 
④に続く。。。
 



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